江差町
瓶子(へいし)岩 かもめ島の入口にある岩。江差町のカントリーサインになっている。 瓶子岩のしめ縄は毎年7月の第一土日に開催される「かもめ島まつり」で、江差町内の若者によってかけられている。しめ縄の長さは30mにもなる。 かもめ島で折居姥が白髪の翁から瓶を渡され、教えられたとおり海に投げたところ、瓶が石と化して海上に現れ、瓶子岩になったという伝説がある。 |
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厳島神社 1615年(元和元年)、回船問屋仲間が海上安全を祈念し、弁財天社として建立したものである。 その後、北前船の関係者や商家の信仰を集め、1868年(明治元年)に厳島神社と改称されている。 |
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鴎島灯台 1889年(明治22年)に木造四角形の灯台として建設された。 現在の灯台は1951年(昭和26年)に建てられた2代目である。 |
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弁慶の足跡 わらじで踏んだような足形の穴が「弁慶の足跡」として言い伝えられている。 地元では「エンカマ」と呼ばれている。 |
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開陽丸 約130年前、オランダのヒップス・エン・ゾーネン造船所が江戸幕府の発注を受けて建造した日本最強(建造当時)を誇る木造の機帆走軍艦である。 1867年(慶応3年)、オランダから日本に到着するが、その翌年、戊辰戦争が勃発。榎本武揚は1868年(慶応4年)、「蝦夷共和国」の構想を抱きつつ、開陽丸他7隻を率いて品川を出港する。 榎本武揚が率いる旧幕府軍は五稜郭を占領した後、松前藩最後の防衛戦である江差を攻撃するため、江差沖に航行するが、1868年(明治元年)11月15日、暴風雨のため座礁沈没してしまった。 今も江差沖には開陽丸が沈んでいる。 ちなみに復元された開陽丸は資料館となっている。入場料は大人700円。 |
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姥神八幡宮 創立年代は不詳であるが、伝承では1447年(文安4年)、瓶子岩の伝説に登場する折居姥の草創と言われている。 |
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江差追分会館 「日本を代表する」と言っても過言ではない民謡の王様「江差追分」を正しく保存・伝承するための施設。 館内には「江差追分」に関する資料展示室や「江差追分」の実演が行われる演示室がある。 4月末から10月末にかけて(7月第2日曜日、9月第3金・土・日曜日を除く)、毎日2〜3回、江差追分等の民謡の実演が行われている。 江差追分等の民謡の実演が楽しめるオススメの施設である。 江差追分会館、旧中村家住宅、旧檜山爾志郡役所の3ヶ所を見学できる共通観覧券は大人600円。 |
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旧中村家住宅 江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたものである。(大正初期に大橋家から中村米吉が譲り受けている。) 土台には北前船で運んできた笏谷(しゃくだに)石が使用されている。 家屋は総ヒノキ切妻造りの大きな2階建である。 当時を偲ぶ資料等が展示されている。 江差追分会館、旧中村家住宅、旧檜山爾志郡役所の3ヶ所を見学できる共通観覧券は大人600円。 |
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旧檜山爾志郡役所 1879年(明治12年)、北海道の各所に郡が設けられ、檜山郡と爾志郡には2つの郡を管轄する郡役所として檜山爾志郡役所が設置された。 1887年(明治20)11月、檜山爾志郡役所兼江差警察署庁舎として建てられたものである。 北海道で唯一現存する郡役所庁舎である。 館内には郡役所や警察署に関する資料等が展示されている。特に各室内の壁や天井を飾った13種類の美しい布クロスは必見であろう。 江差追分会館、旧中村家住宅、旧檜山爾志郡役所の3ヶ所を見学できる共通観覧券は大人600円。 |
道の駅
江差 R227沿いにある道の駅。 江戸時代に江差町に実在したという「とんち」の名人である繁次郎の銅像が立つ繁次郎浜にある。 たいへん小さな道の駅である。 |
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